「円」の歴史を知る

FXのための国際通貨研究所事務局   2016年8月19日   「円」の歴史を知る はコメントを受け付けていません。

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日頃何気なく使っている「日本円(円)」ですが、資産として見ると外国為替市場での取引高は米ドル、ユーロに次ぐ世界第3位の取引高を誇り、比較的安定していることで知られています。
このように安定した資産として見なされるためには、戦後の日本経済の変遷をはじめ、様々な要因がありました。
今回は、意外と知られていない日本円の歴史について見てみましょう。

バブル景気前夜から現在までの日本経済の大まかな歴史

円の歴史を見る前に、円の価値を裏付ける日本経済の概略について、1980年代のバブル景気前夜から見てみましょう。

バブル景気前夜の1980年代は、高度経済成長期に大きく成長した自動車・家電のハイテク産業を中心に引き続き輸出を伸ばします。
この輸出増により日本経済は行動成長時代よりはゆるやかながらも活発な経済成長を続け、アメリカをはじめとする輸出相手国との間で貿易摩擦が激化していました。
「日米貿易戦争」とも言われたこの貿易摩擦は、1985年のプラザ合意とその後の協調介入により一転、それまでの円安から急激な円高に転じたことで、円高不況を招きます。

円高不況の克服を目的として低金利政策を採用したことで株や不動産などの資産価値が急上昇したことでバブル景気が発生、世界第2位の経済大国となりました。
日本の経済大国としての地位を確たるものにしたバブル景気でしたが1990年代はじめに崩壊、日本経済は「失われた10年」とも言われる長期低迷におちいります。

バブル景気崩壊後の日本経済は、東西冷戦体制の崩壊と急速に進展するグローバル化の波に遅れることとなります。
特に銀行や証券会社などの金融機関は1990年代後半に進められた「金融ビッグバン」とあいまって、相次いで破綻に追い込まれ、景気低迷を長期化させることとなりました。

長引く景気低迷によりデフレ経済に落ちこんだ日本経済ですが、平成に入ってから進められていた構造改革・規制改革の総決算として、第87代内閣総理大臣である小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)による「聖域なき構造改革(小泉改革)」が進められます。
「官から民へ」と「中央から地方へ」の2つをスローガンにした小泉改革は終身雇用制度の終焉をまねき、正社員の削減と非正規雇用の増加を招くこととなります。
もっとも大きいコストである人件費の大幅な削減を達成した日本企業は、その費用を元に積極的な海外進出をおこない空前の好業績を達成、日本経済は2000年代前半から2007年の世界金融危機にかけて、戦後最長となった好景気(いざなみ景気)を達成しました。

通貨としての「円」の歴史

私たちが今日本で使っているお金の単位「円」は、明治維新直後に明治政府によって甲府された国家が保有する金の総量に通貨価値が裏付けされた「新貨条例」によって定められたものが大元となります。

新貨条例では従来の「両・分・文」と各藩が独自に発行していた藩札の貨幣制度にかわって「円・銭・厘」という単位を制定し、これに対応した硬貨の鋳造をはじめます。
新貨条例では、これまでに流通していた両・分・文と藩札と円・銭・厘を交換するときに混乱が生じないよう、「1両 = 1円」とされました。
従来の貨幣制度から金本位制への移行を目指した新貨制度は、しかし様々な影響により事実上機能せず、従来の貨幣制度と両立した混乱した状態がしばらく続き、最終的に金本位制が実現したのは、1897(明治30)年のことです。

金本位制はその後しばらく維持されましたが世界大恐慌により崩壊、管理通貨制度へと移行します。
日中戦争から太平洋戦争のいわゆる十五年戦争により円はインフレが進み、1945年の無条件降伏による経済的混乱からハイパーインフレにまで追いこまれたことから、通貨切替をおこない、現行の円制度へと移行しました。

おわりに

このように、一言で円といってもその背景には実に様々なものがあり、現行の貨幣制度に切り替わってからでも70年近い歴史があります。
その変遷を追いかけるのも面白いかもしれませんね。